2008.3.14(金) ■今日は本当にご霊言通りの取り組みを頂いたと思うι自分の 我を立てるから相手と衝突するのは分かっているのにどうして も受け入れられないという自分の弱さを今日程痛感した事はな かったιまだまだ言って下さるのが有り難い事なんだという事 がお腹に落とし切れないで「こなんのはいらない!」と跳ね返 してしまう…そして分かった!あのご霊言集で二度も同じペー ジを見たのはこの事だったんだなって…ιまだまだ角がニョッ キっと出ているよって教えてくれていたんだなって分かったι 其の事を裏付けるように、今日帰った京橋支部に「同じ接心を 頂くのは取り組みをしていないこと。取り組みをしだしたら、 ご霊言が変わってくるから」というように今日のはやっとι変 わってくれていたιでも結局は同じ事なのかも知れないけどね ι前回は角(我)を出さず、受け入れて行く事。今回はお救の事 だと思う。 ■真如苑の教学に徳力を得るには布施が必要だというのがあっ てやっと今日になって歓喜袋に納めて出す事が出来たι今迄ど こかでやっぱり惜しいという気持ちがあったから出す気持ちは あっても行動に移す事が出来ないでいたのかも知れない。しか し教学の本に布施の功徳は布施をしたからすぐに好い事がある とか、逆に金品が入ってくるとかでなくて、お救けの時にどう しても話しを聞いてくれないとか、話す事が出来ないとか、こ こぞという時に力が出し切れないとか、そういう目には見えな い、いざここ!という時に力が湧いて来るというのが布施の功 徳だと書いてあったからだ。でもこういう時に限って残業で、 しかも電車に一本乗り遅れてしまいこのままでは間に合わない !と走りに走ってぎりぎりで何とか間に合って、20日の春彼岸 のお施餓鬼をさせて頂いてさあ此れで安心して帰ろうっと思っ たのだけど、そうだ!っと慌てて歓喜袋に詰め直して事務局に 提出させて頂いた。この時間がない!というのも提出出来た理 由かもねιこの時に出したお布施は以前から末尾9だけを選ん でためていたお金だからいくらあるのかまったく知らないιで もそれでいいと思う。金額が分かっていると絶対に私の事だか ら後から惜しい欲しいになって結局は喜びになんてなれないだ ろうからだι自分で言っても凹むなあ〜ιこれからは歓喜をす る時はそうやって用意しておこうかな?そうすればいくらかな んて数える事もないし、もし9が続けば私のお徳が足りないか ら補ってくれるんだとも思える。 ■何だか家に帰って来て、改めて父と話すのに嫌悪感を覚えて いるιうざいし鬱陶しい!父が良い曲を聞いた!CDを買いたい !!と喜んでいるが、その喜ぶ姿に腹が立つし、顔を見るのも 嫌だ!何だろうなこれってι正直今ここで父が死んでもそれは それで有り難いと思ってしまう私はおかしいのだろうか?
(今日の出来事) ・朝は至心読経ι夜はフル読経 ・歓喜袋をやっと出すι ・京橋支部に帰る ・知子にメール ・無料出品
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